大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和52年(あ)297号 決定

本籍

愛媛県周桑郡壬生川町大字吉田三三九番地

住居

広島県呉市西中央四丁目三の五

会社代表取締役

日野義行

大正一一年二月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五一年一二月二四日広島高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人馬場照男、同河合浩の各上告趣意のうち、憲法三七条二項違反をいう点の実質は単なる法令違反の主張にすぎず、その余の点は、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 高辻正已 裁判官 天野武一 裁判官 江里口清雄 裁判官 服部高顯 裁判官 環昌一)

○昭和五二年(あ)第二九七号

被告人 日野義行

弁護人馬場照男の上告趣意(昭和五二年四月一四日付)

第一、憲法第三七条第二項違反

原判決は憲法第三七条第二項に違反しているので破棄されるべきものである。

その理由は次のとおりである。

一、被告人は原審に於ける事実誤認の主張として当弁護人作成の控訴趣意書第一の一ないし七の主張をなしこれら事実誤認の立証のため取調請求をなした証人の全部について原審はこれを却下している。

これら取調却下の証人の内左記七名の証人についてはその付記の立証事項について原審に於て取調べる必要のあつたものであるが原審はこの取調請求を全部却下したので前記憲法違反をなすに至つたものである。

〈省略〉

二、被告人側の証人取調要求権の範囲

憲法第三七条第二項後段には

刑事被告人は公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。

と規定しており、この規定との関連で裁判所は被告人側から請求した証人をすべて取調べなければならないかという問題について

(1) 英米法に於ては当事者主義の訴訟構造のため証人尋問の請求があれば裁判所は原則として証拠決定することなく取調べねばならないとされており、ドイツ刑訴法に於ては証人尋問の請求を却下できるのはそれが不適法な場合、無用又は蛇足である場合、合目的的でない場合及び訴訟遅延の目的のある場合と規定されており、わが刑訴法に於ては裁判所が証拠決定をした証人についてのみ尋問するわけであるが、被告人から請求された証人の採否についての基準については何らの規定を設けていない。

学説としては一般的にいつて裁判所の自由裁量に属することであるがその裁量権の行使は経験則に反するものであつてはならず合理的なものでなければならないと後記判例と同様極めて抽象的な基準を示しているが著名の学者で〈A〉憲法の予想する当事者主義の精神からいつて当事者から証人尋問の請求があつたときは原則的にこれを許さなければならないとするもの、或は〈B〉犯罪事実についての争のため申請される証人はそれが無用の重複と認められない限り喚問する必要があるとする者がある。

憲法の予想する当事者主義と裁判所の真実探究義務を前提とすると右〈B〉説の保障は必要のものであると考えられる。

(2) 判例は

(イ) 昭和二三年六月二三日最高裁大法廷において

憲法上裁判所は当事者から申請のあつた証人は総て取調べなければならないかどうか、という問題にについて、まず事案に関係のないと認められる証人を調べることが不必要であるのは勿論、事案に関係あるとしてもその間おのずから軽重親疎濃淡遠近直接間接の差は存するのであるから健全な合理性に反しない限り裁判所は一般に自由裁量の範囲で適当に証人を取拾選択をすることができる。

と判示して『健全な合理性に反しない限り』という抽象的な基準を示している。

(ロ) 昭和二三年七月二九日最高裁大法廷判決に於て

裁判所は当該事件の裁判をなすに必要適切な証人を喚問すればよいものというべきである。そしていかなる証人が当該事件の裁判に必要適切であるか否か従つて証人申請の採否は各具体的事件の性格、環境、属性その他諸般の事情を深く斟酌して当該裁判所が決定すべき事柄である。しかし裁判所は証人申請の採否について自由裁量を許されているといつても主観的な専制ないし独断に陥ることは許され難いところであり、実験的に反するに至ればここに不法に招来することになる。

と判示して『実験則に反しない限り』という抽象的基準を示している。

三、本件に於ける前記証人の取調請求についての全部の却下は右〈B〉説による基準を逸脱する違法をおかしていることは勿論であるが右判例にいうところの

健全な合理性と

実験則

に反するものであり原審にして右証人の全部の又は一部の取調べをなすに於ては一審判決認定の被告人の有罪の事実についてその全部又は一部につき無罪の認定も生じたかも知れないところである。

第二、事実誤認

左記一ないし五の事実についての一審判決及びこれを容認する原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これは原判決及び一審判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので原判決及び一審判決は破棄されるべきものである。

原判決及び一審判決は以下の通り被告人の所得でないものを被告人の所得と認定した事実の誤認をなしているので破棄されるべきものである。

左記各項に記載の金額は一審判決認定のそれぞれの年度の所得額より控除されるべきものである。

一、持込現金

昭和四〇年度分金七〇〇万円

(1) 本件パチンコ店の先代経営者である日野市子は昭和三九年一二月一七日死亡したが、その死亡時に所有しており死亡後被告人夫婦に相続承継された現金七〇〇万円は昭和四〇年度に持込されておるが検察官主張の昭和四〇年度分の資産増加の算定に当つては、この持込現金七〇〇万円が計算控除されておらず、原判決及び一審判決は検察官の右主張を全部容認しているので、同額について昭和四〇年度分の所得額から控除されるべきものである。

その持込現金七〇〇万円の存在の理由は以下の通りである。

(2) 日野市子はパチンコ店営業には全く素人であつたが、その伯父日野喜助の指導で昭和二七年頃阿賀でパチンコ店営業をはじめ、ついで昭和三二年頃呉市中通りで同様パチンコ店営業をはじめたが、これら両店舗についての開店資金の全部及び開店後の営業資金について日野喜助の出資をうけ、その総額は三、〇〇〇万円ないし四、〇〇〇万円位に達していた。

営業許可名義等形式的には日野市子の営業であつたが、実質的には日野喜助が支配力を持つ同人の営業とされており、昭和三九年末頃に至つては日野市子はかなり健康を害しており、その健全でおる間にこれら両店舗のパチンコ店営業を自己ら一家のものとして経営したい強い希望を有しており、そのために日野喜助に対しその出資額について相当額の支払をなして営業譲り渡しをうけるべく昭和三九年一二月五日頃病身にかかわらず被告人に付添われて松山市に日野喜助を訪ね、同人にその趣旨の依頼をなした。日野市子はその際日野喜助に支払う資金として現金をふろしき包みに入れて持参していたが、日野喜助はその包みの具合から現金在中高を七〇〇万~八〇〇万円とみて、自己の出資高に比して余りに少ないのでその場は日野市子の希望を軽く受け流し、大分体が弱つているので営業譲渡の話は別として暫く静養して行くよう進め、日野市子はそのすすめにより約一〇日間位日野喜助方で静養し呉に帰つたが、現金在中のふろしき包みは滞在中日野喜助に預け日野喜助がこれをふろしき包みのまま金庫に入れて保管し、日野市子が呉に帰るとき日野喜助からそのふろしき包みを受けとり持帰つた。

日野喜助の証言によると同人は現金在中のふろしき包みの中味は見ておらず又日野市子から金額は聞いていないが見た状況や預つたときの手ざわりで七〇〇万か八〇〇万の現金が入つていたものとみている。

(3) 日野市子は同月一五日頃日野喜助方から中通店に帰り、被告人夫婦と一緒に食事をしたが、その食事の前に前記現金在中のふろしき包みを、その娘である被告人の妻八重子に手渡して保管方を託し阿賀店に帰り、二日後の同月一七日に死亡した。

右現金在中のふろしき包みを預つた日野八重子はふろしき包みのままこれを中通店の金庫に入れ、一七日の母の死亡後にこのふろしき包みをあけてみたところ、現金七〇〇万円があり、この七〇〇万円はその後半年位のうちに何回にもわけて普通預金や定期預金何れも偽名の裏預金に入れた。

以上(1)(2)(3)について参照

証人日野喜助の供述調書(45・11・4出張尋問第四分冊一、一六六丁)

証人日野八重子の供述速記録(47・9・8第二二回公判期日、第五分冊一、八二二丁)

被告人の供述速記録(48・12・14第三〇回公判期日、第六分冊二、三八一丁)

被告人の上申書(48・12・14付)

(4) 検察官は公判段階に於て(A)日野八重子の検事調書(44・4・10付第六分冊二、一六六丁)第一項、第二項に「母が日野喜助方から戻つた時に私が預つた金は六〇〇万円位であつた」旨の記載のあることと(B)日野市子死亡による被告人夫婦の相続税の申告に当つて現金七〇〇万円を相続財産として計上していないことを理由として持込現金七〇〇万円の存在を舌定せんとしているが、

(イ) 右検事調書に六〇〇万円位という記載のあることはまちがいないが、この点について日野八重子は48・2・16第二六回公判期日(第六分冊二、〇四〇丁)に於て検察官から「検事に事情を聞かれた時は六〇〇万円位のようなことを言つていなかつたか」と尋ねられて「六〇〇万か七〇〇万かと言つたんじやないかと思います」と答え更に「はつきりわかつとるのは七〇〇万の記憶の方が正しいんですが、どうしてかなと今思つてるんですけど」と答えておる。

(ロ) 又、押収にかかる相続税調査書兼申告是認決議書によると被告人夫婦の右相続税申告についての修正申告書添付明細書(第二表)には

現金預貯金等一、六三五、五二四円

と記載してあり、確かに相続税の修正申告書には持込現金七〇〇万円の相続財産としての記載はない。

しかしながら右相続税の修正申告書添付明細書(第二表)には現金と預貯金を合せて一、六三五、五二四円ということであるから、いわゆる匿名預金何千万円かについても右相続税の修正申告書には記載されていない。だからといつて検察官は日野市子死亡時の匿名預金の存在を否定することはできないであろう。

しからば右(A)(B)を理由として持込現金七〇〇万円の存在を否定せんとする検察官の見方は真実に反するものであると言わねばならない。

従つて検察官の見解と同じ見解をとつたとみられる原判決及び一審判決は持込現金七〇〇万円の存在について明かに事実の誤認をしているといわねばならない。

二、持込定期預金

昭和四〇年度分 持込定期預金八〇万円

持込預金利息四万三、三九九円

(1) 日野市子がその存命中昭和三九年中に阿賀信用金庫に偽名預金をしておつて、その死後被告人夫婦に於て昭和四〇年中に預金及び預金利息の払戻を受けた後記定期預金八口預金額計金一七〇万円及びその預金利息(預金利子税控除後)九万二、二二一円については検察官主張の昭和四〇年度分の資産増加の算定に当つてはこれを控除する計算がされていないので、この持込定期預金及び預金利息合計金一七九万二、二二一円は昭和四〇年度分の所得額から控除されるべきものである。

その持込定期預金及び預金利息の存在の事情は次の通りである。

(2) 阿賀信用金庫に対する偽名預金については昭和四三年八月二日付久保勝則作成大蔵事務官木島正あて上申書が提出されており、この上申書は阿賀信用金庫の方で資料を提出し、木島正事務官らに於てその資料を調査した結果その指示により久保勝則が作成したものである。

その後公判段階になつて被告人の方から同信用金庫に対し直接或は経理士を通じ右上申書に記載した以外の定期預金で昭和三九年中に預入れ昭和四〇年に払戻を受けた偽名の定期預金がある筈につき再三その調査方を申入れ、その結果久保勝則に於て再調査したところ、次のとおりの持込定期預金の存在が判明したものである。

右調査者久保勝則の証言によると後記弁第一号証関係の定期預金五口については印影の同一性或は上申書中の偽名名義人と名義の同一性等からして被告人方の預金であることはまちがいないが、弁第二号証関係の定期預金三口については印影或は名義の同一性はないが被告人方の偽名預金受け入れの担当者であつた久保勝則の記憶により被告人方の権利に属する定期預金であると認められるものである。

弁第一号証関係

イ 預入日39・1・29 高橋盛繁名義 金額三〇万円 払戻日40・2・22 利息金一万七、二三二円 預金利子税金八六一円控除

ロ 預入日39・2・22 友清政子名義 金額一〇万円 払戻日40・2・23 利息金五、六〇六円 税金二八〇円控除

ハ 預入日39・2・4 田中久美子名義 金額二〇万円 払戻日40・2・23 利息金一万一、四二八円 税金五七一円控除

ニ 預入日39・1・28 岡田静子名義 金額二〇万円 払戻日40・2・24 利息金一万一、五二四円 税金五七六円控除

ホ 預入日39・2・24 浜崎梅乃名義 金額一〇万円 払戻日40・2・24 利息金五、六〇〇円 税金二八〇円控除

弁第二号証関係

ヘ 預入日39・1・27 堤清子名義 金額三〇万円 払戻日40・2・20 利息金一万七、二三二円 税金八六一円控除

ト 預入日39・2・1 山田英子名義 金額三〇万円 払戻日40・2・26 利息金一万七、二五〇円 税金八六二円控除

チ 預入日39・3・4 原弥生名義 金額二〇万円 払戻日40・2・25 (借受金と相殺) 利息金一万一、二〇〇円 税金五六〇円控除

以上(1)(2)について参照

証人久保勝則の供述速記録(45・4・30第六回公判期日第三分冊八七四丁)

証人正力久幸の供述速記録(45・6・15第七回公判期日第三分冊九五五丁)

弁第一号証綴り(第三分冊九二四丁、九二三丁)

定期預金元帳謄本

高橋盛繁名義預入日39・1・29

友清政子名義預入日39・2・22

田中久美子名義預入日39・2・4

岡田静子名義預入日39・1・28

浜崎梅乃名義預入日39・2・24

弁第二号証綴り(第三分冊九二六丁、九二五丁)

定期預金元帳謄本

堤清子名義預入日39・1・27

山田英子名義預入日39・2・1

原弥生名義預入日39・3・4

手形貸付金元帳謄本

原弥生名義

弁第三号証 証明書(第三分冊九六六丁)

弁第四号証 訪問日誌(第三分冊九六八丁)

弁第五号証 訪問日誌(第三分冊九六九丁)

(3) 然るに一審判決は右弁第一号証による架空名義人五名名義の定期預金計金九〇万円とその利息については被告人の主張を容認しておるが右弁第二号証による架空名義人堤清子外二名名義の定期預金計金八〇万円については「これが右市子ないしは被告人に属していたことを認めるに足りる確証はない」として被告人の右主張を排斥している。

然れどもこの三口計金八〇万円の架空定期預金については使用名義の同一性ないし使用印鑑の印影の同一性等の物的証拠はないが、日野市子の偽名定期預金の受入担当者であつた久保勝則前掲証言により、この三口計金八〇万円の架空定期預金は日野市子の権利に属したものと認めることができるし、少くとも同証言はそのように疑うに足りる十分な証拠ということができる。

それにもかかわらず原判決及び一審判決が「疑わしきは罰せず」の原則を無視して「被告人に於て無罪の確証を提供しなければ有罪である」とする建前でなした右被告人の主張の排斥は許さるべきものでなく、破棄に値いするものである。

三、宝石

昭和四二年度分金一三〇万円

(1) 検察官は冒頭陣述書(別紙6の31)に於て

昭和四二年度に於ける簿外資金による宝石の購入一三〇万円

を計上し、この金額を簿外支出額として同年度の所得額に算入しているが、この宝石購入代金なるものは全く支出されていないので右所得額から控除されるべきものである。

然るに原判決及び一審判決は検察官の右主張を全部容認しているので同額について昭和四二年度分の所得額から控除されるべきものである。この点に関しても原判決及び一審判決は「疑わしきは罰せず」の原則を無視して積極認定をなしており、その理由は以下の通りである。

(2) 押収された後に還付された

領置番号21号 オパールプラチナ台指輪

同 22号 パールプラチナ台13mm指輪

同 23号 パールプラチナ台13.5mm指輪

同 27号 パールプラチナ台11mm指輪

同 31号 パールネツクレス

の五個は何れも被告人の妻八重子が母市子からその生前に貰い受け(右21号、22号、23号、31号の分)或は母市子の死亡のとき茶だんすの中にあつたもの(27号の分)を取得したものであつて、被告人が行商人から金一三〇万円で買つたということは全く虚構の事柄であり、被告人はもちろんその妻八重子に於てさえこれらを購入した事実は全くないものである。

以上(1)(2)について参照

証人日野八重子の供述速記録(47・9・8第二二回公判期日第五分冊一、八二二丁)

(3) 被告人に対する大蔵事務官木島正の質問顛末書(43・10・19付第七分冊二、六八四丁)の第一六項によると右五点の指輪等は被告人が外交員らしい人から代金一三〇万円で買受けた旨の記載があるが、この記載が虚偽の事実であり且つ木島正調査官の誘導と押しつけによつて生じたものであることについて被告人は48・12・14第三〇回公判期日の供述速記録(第六分冊二、三八一丁)に於て

家内が法廷に持参した四つの指輪と他にネツクレス一個の五個の宝石は誰がどこから買つたのか私には今でも判らない。

母市子が指にはめていたのを見たことはある。

木島調査官がその指輪等を買つたんじやろう買つたんじやろうと言つて追及し、私は買つたおぼえはないのでそう答えると、木島は知らんことはなかろうがと丸一日か二日このことばかりせめるので、私はしかたなく行商から一三〇万円で買つたとつくり事を言つた。

木島はこの指輪を買つた代金も多額の銀行引出金から払つたのだろうというふうに追及された。

旨供述し、更に48・12・14付被告人上申書に於ても同旨の記載をなしている。

被告人は右供述速記録に於てひつじやから買受けの宝石について「誰が買受けたのか知らない。私は買つた事はない。ひつじやの場所は今は知つているがその当時は全然知らない」旨述べており、これらを総合すると何れの宝石についても宝石の購入には被告人は全く関与していないのにもかかわらず、ひつじや売渡しの宝石については同店の保証書の存在を根拠として被告人が購入したものなりと誘導ないし押しつけの上自白供述をとり、他の宝石については多額の銀行預金引出金の使途に見合わすため被告人が購入したものであるとの予断ないし作為に基いて被告人に対する誘導ないし押しつけ的取調を強行し、切端つまつた被告人をして宝石五個一三〇万円という高額のものを素姓の判らぬ行商人から購入したと供述せしめる等誠に真実発見を無視し予断に合せた取調べをなしているものとみられる。

四、架空支払

昭和四〇年度分永野昇関係金一〇〇万円

(1) 公表勘定から架空支払の方法により右金一〇〇万円を裏勘定に回しており、これは公表勘定面では出金となり資産減少を来たすが実際には出金されておらず裏勘定に帰属し、実質上資産減少は来たしていないので右金一〇〇万円については昭和四〇年度の所得額から控除されるべきものである。

然るに原判決及び一審判決は右金一〇〇万円についてこれを同年度の所得額に算入しているので、同額について昭和四〇年度分の所得額から控除されるべきものである。

この点に関しても原判決及び一審判決は「疑わしきは処罰せず」の原則を無視して積極認定をなしており、その理由は以下の通りである。

(2)(イ) 日野八重子は昭和四〇年四月二八日額面金一〇〇万円・振出人日野八重子・振出日同日・支払銀行住友銀行呉支店なる小切手一通を振出し、永野昇に依頼してこの小切手に同人名義の裏書記名捺印を得て右銀行に対する日野八重子の当座預金勘定(公表勘定の分)から永野昇に対する支払金なる如く装つて金一〇〇万円の払出しを受け、これを住友銀行呉支店に於ける

雨宮礼三名義普通預金四〇万円 40・5・1預入れ

同 人名義普通預金四五万円 40・5・1預入れ

同 人名義普通預金一五万円 40・5・4預入れ

の偽名預金とした。

(ロ) 右は表勘定に余裕ができたのでその内金一〇〇万円を裏勘定に回すために日野八重子が行つた操作である。

以上(2)について参照

証人日野八重子の供述速記録(47・9・8第二二回公判期日第五分冊一、八二二丁)

証人日野八重子の供述速記録(48・5・8第二七回公判期日第六分冊二、一二七丁)

証人永野昇の供述速記録(47・11・21第二四回公判期日第五分冊一、九七二丁)

証人正力久幸の供述速記録(47・10・21第二三回公判期日第五分冊一、九四一丁)

住友銀行呉支店からの取寄記録

A 小切手写一通(第六分冊二、一〇七丁)

B 普通預金勘定入金伝票写三通(第六分冊二、一〇九~二、一一一丁)

C 当座勘定元帳写(日野八重子口座)(第六分冊二、一一二丁)

D 普通預金元帳写(雨宮礼三名義)(第六分冊二、一一三丁)

五、自宅建築費

昭和四〇年度分 金一〇七万七、四九七円

(1) 検察官は冒頭陳述書(別紙4の28)に於て「三九年秋より自宅建物の新築工事をはじめて四〇年三月完成しているが、この工事に関連した費用合計金一七八万六、九二〇円を別口資金より支払つておるとして、昭和四〇年度に於けるその別口資金よりの支払先として永野昇外八名の支払先をあげている」

被告人は昭和三九年九月頃から現在まで自宅の新築工事をはじめ昭和四〇年三月末にはこれを完成し、同年四月三日迄にこの新築建物に入居しており、その建築費用は二〇〇万円余りであつて、建築の差配を依頼した大木与一に建築費用を渡して大木与一が建築に従事関連した各業者に支払つたもので、昭和三九年度中に建築費用の半額余を支払い、昭和四〇年度になつてからその残額を支払つておる。

而して右冒頭陣述書掲記の建築費用金一七八万六、九二〇円の内後記五名に対する各掲記の金額合計金一〇九万七、四一九円は右自宅建築費用ではなく中通店の改造に関する費用であつて、自宅建築費の簿外支出金には該当しないので同額の金額が昭和四〇年度の所得額から控除されるべきであり、その明細は以下の通りである。

(2) 永野昇に対する左官工事代金

昭和四〇年度分 金八〇万円

(イ) 検察官の冒頭陳述書による永野昇に対する左官工事代金の支払

40・7・10支払 金五万円

40・7・15支払 金二五万円

40・8支払 金五〇万円

(ロ) 自宅建築費の支払については大木与一が被告人の妻八重子から支払資金を受けとつて各業者に支払を実施し、その支払は大木与一に対する礼金一〇万円と藤野材木店に対する材木代金の一部が、昭和四〇年四月三日以後になつたのみで、それ以外の全業者に対する支払はすべて昭和四〇年四月三日迄に完了しており(参照・証人大木与一の供述速記録―45・7・6第八回公判期日第三分冊九七六丁、被告人の供述速記録―49・1・29第三一回公判期日第六分冊二、四三一丁)永野昇に対しても左官工事代金約五〇万円が昭和四〇年三月末迄に支払われておる。

従つて右冒頭の三口計金八〇万円の支払は被告人自宅の建築費用には関係ないものであり、これは中通店二階の改造工事の代金の一部である。

以上参照

証人大木与一の右供述速記録

証入永野昇の供述速記録(45・9・21第九回公判期日第四分冊一、〇五七丁)の内弁護人の問に対する答の部分

(ハ) 従つて検察官の右冒頭陳述書に記載の右三口合計金八〇万円の支払は自宅建築費についての簿外資金の支出ではない。

よつてこの金八〇万円は昭和四〇年度の所得額より控除されるべきものである。

(3) 藤野材木店に対する材木代金

昭和四〇年度分 金八万八、九九九円

(イ) 検察官の冒頭陳述書による材木代金の支払

40・4・5 一〇万円

40・4・16 四万五〇〇円

(ロ) 藤野材木店から買受けた材木の品名、代金額、納品月日は昭和四三年八月二日付株式会社藤野材木店取締役社長藤野茂作成、大蔵事務官木島正あて上申書添付の別表の通りであるが、この別表の内昭和四〇年四月五日から同月二七日迄に購入したラワン板外等計五口の材木代八万九、三六四円相当の材木は納品の時期的にみても被告人自宅の建築資材ではなく、従つてこの代金である八万九、三六四円から値引金三六五円を差引く金八万八、九九九円は自宅建築費の簿外資金支払でないから、同額が昭和四〇年度の所得額から控除されるべきである。

以上参照

証人大木与一の右供述速記録

(4) 谷川電気に対する配線工事代金

昭和四〇年度 金八、三九〇円

(イ) 右は検察官の冒頭陳述書に記載された40・5・22支払金八、三九〇円の簿外資金支払の金額ということであるが、大木与一の前掲供述速記録と谷川六之丈作成の証明書添付の取引謄本中

取引年月日 40・5・22

取引金額 八、三九〇円

受入年月日 40・5・22

決済方法 現金

という記載を総合判断すると時期的にみても自宅建築費の簿外資金支払ではない。

従つてこの金額は昭和四〇年度分の所得額から控除されるべきものである。

(5) 上垣邦夫に対する冷房用ポンプ取付工事代金

昭和四〇年度分 金一七万五、〇〇〇円

(イ) 検察官の冒頭陳述書によると上垣邦夫に対する冷房用ポンプ取付工事代金の支払

40・8・14 五万円

40・10・6 一〇万円

40・11・13 二万五、〇〇〇円

(ロ) 前記の通り自宅建築工事費は昭和四〇年四月三日迄に支払が完了しており、上垣邦夫についても同様であるから右は自宅建築工事費の簿外資金支払ではない。

加えて証人上垣邦夫の供述速記録(45・11・10第一〇回公判期日第四分冊一、二四八丁)によると検察官請求証拠目録記載の請求番号20の43・9・18付上申書(第二分冊三九五丁)及び21の43・11・27付上申書(第二分冊三九七丁)は何れもまちがつているから撤回するということであり、この上申書は金銭出納帳によつて作成した旨の記載があるが、上垣は記憶によつて書いただけで当時金銭出納帳はつけていなかつたので金銭出納帳によつて作成したのではなく、このことは木島調査官も承知の上で、書き方を指示され下書をしてくれたものである旨述べており、しかも右三口の支払合計金一七万五、〇〇〇円の支払日、支払金額は右上申書を基礎として算定されておるものであり、証人上垣邦夫の右供述速記録の供述からは右支払日、支払金額の証拠はとれぬものである。

(ハ) 従つて右金一七万五、〇〇〇円は昭和四〇年度の所得額から控除されるべきものである。

(6) 松谷一郎に対するブリキ工事代金

昭和四〇年度分 金二万五、〇三〇円

(イ) 検察官の冒頭陳述書によると松谷一郎に対するブリキ工事代金支払

40・6・19 一万五、〇〇〇円

40・9・20 一万三〇円

(ロ) 前記の通り自宅建築工事費は昭和四〇年四月三日迄に支払が完了しており、松谷一郎についても同様であるから右は自宅建築工事費の簿外資金支払ではない。

従つて右金二万五、〇三〇円は昭和四〇年度の所得額から控除されるべきものである。

(7) 然るに一審判決は前記(2)ないし(6)の工事代金等のうち(5)の上垣邦夫に対し三回に支払つた計金一七万五、〇〇〇円のうち金一万一、五三二円と(4)の谷川電気に対し支払つた金八、三九〇円の金額とについてわずかに被告人の主張を容認して、この計金一万九、九二二円についての控除をなしたのみで、その余の計金一〇七万七、四九七円については被告人の主張を排斥しており、原判決はこれを容認している。

このことは原判決及び一審判決が前掲二、(3)の通り「疑わしきは罰せず」の原則を無視して有罪の判決をなした違法をおかしておるものといわねばならない。

以上

○ 昭和五二年(あ)第二九七号

被告人 日野義行

弁護人河合浩の上告趣意(昭和五二年四月一六日付)

原判決は、被告人を懲役六月・二年間執行猶予及び罰金五〇〇万円に処する旨の判決を言い渡したが、原判決には判決に影響を及ぼすべき憲法違反があり、かつ、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するので、破棄を免れないものと思料する。

以下その理由を述べる。

第一、憲法違反

憲法第三七条第二項は、「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する」と規定しているが、これは基本的人権である被告人の証人尋問申請権を憲法上保障したものであり、証拠の採否は裁判所の自由裁量であるとする考え方に対し憲法上の制約を加えたものというべきである。したがつて、裁判所といえども当該裁判をなすのに必要適切な証人は喚問する義務があり、しかも何が「必要適切な証人」であるかの判断は、裁判所の一方的な裁量に任されているものではなく、実験則に反する場合は憲法の右条項に抵触するものといわなければならない。

これを本件について検討してみると、後記第二(事実誤認)で詳しく論じているとおり、被告人の本件所得税法違反事件についての一審の判断にはきわめて重大な事実誤認があり、被告人及び弁護人としては控訴審である原審においてこれが破棄是正を求めるため、真相究明に欠くことのできない証人として日野喜助・日野八重子・久保勝則・永野昇・大木与一・大可義幸・矢田部英輔・北川玉一・山岡万吉・木下太郎・楠政雄・石垣和信の一二名を申請(うち楠政雄・石垣和信の両名は一審において取調べていないもの)したところ、原審は第三回公判期日においていずれも却下し、審理不尽のまま結審判決に及んだものである。

このように原審が実験則に照らし事実判断上きわめて必要かつ適正な証人である前記証人らの尋問請求を悉く却下したのは、主観的な専制と独断に陥つた強権的訴訟指揮というほかなく、明らかに憲法第三七条第二項に違反するもので、原判決は、判決に影響を及ぼすべき憲法違反があり、破棄を免れないものと思料する。

第二、事実誤認

一、原判決は、被告人の大蔵事務官に対する質問顛末書および検察官に対する供述調書(いずれもいわゆる自白調書)に特信性があるとして被告人の争つている部分についても有罪を言い渡したが、被告人の一審及び原審公判廷における陳述によつて明らかなとおり、右の質問顛末書は一方的な押しつけであり、検察官調書も国税局査察官に対する誤つた自白をそのまま鵜呑にし前提としたもので、客観的な事実と著しく相違した偽りの自白をしたというのが真相であり(被告人の供述速記録および上申書参照)、このことを裏付けるものとして、一審及び原審判決中でも検察官の主張を一部排斥(持込定期預金および同預金利息、有価証券勘定、女中給与、建物勘定、蘭観音竹勘定、大木与一に対する架空支払など)しており、国税局における調査がきわめて独断的一方的な押しつけで被告人の自白調書がいかに措信できないかを証明しているといつても過言でない。

なお、原判決が被告人の主張を排斥した以下述べる事実関係について、被告人の主張を裏付ける十分な証拠があり、少くとも検察官の主張に疑いの余地が多分に存することは明らかで、刑事裁判において「疑わしきは罰せず」の鉄則が厳存する以上、疑いの存する部分については英断をもつて原判決を破棄すべきものと思料する。

二、以下原判決の事実の認定に著しい誤りがあると思料される部分について検討してみることにする。

1 持込現金について、

原判決は被告人の主張する昭和四〇年度分の持込現金七〇〇万円を認めていないが、右金員は当然昭和四〇年度分の所得額から控除すべきである。

右の件については、被告人の詳細な一審及び原審公判廷における陳述および上申書(一審第三〇回公判調書・原審第二回公判調書参照)によつて明らかなとおり、被告人の経営する遊技場オアシスの先代経営者であつた日野市子が昭和三九年一二月一七日に急死し、その死亡時に同女が所有していた現金七〇〇万円を被告人夫婦が産として相続し、昭和四〇年度に持ち込まれたもので、証人日野八重子(一審第三〇回公判調書参照)および証人日野喜助(一審記録一、一六六丁参照)の証言も被告人の主張に照応しており、被告人の右主張は検察官も被告人の妻日野八重子の取調で知つており(日野八重子の検察官調書一審記録二、一六六丁参照)、ただ被告人が国税局や検察庁の調査取調の際失念していたにすぎず、したがつて証人日野喜助・同日野八重子らの証言を仔細に検討すれば被告人の主張が当然首肯さるべきで、持込現金七〇〇万円の存在を全く認めなかつた原判決は失当のそしりを免れないものと思料する次第である。

2 持込定期預金について、

原判決は被告人の主張する昭和四〇年度分の持込定期預金中、八〇万円とその利息四万三、三九九円を認めていないが、右金額は当然昭和四〇年度分の所得金額から控除すべきである。

右の持込定期預金は、被告人の養母日野市子が生前昭和三九年中に阿賀信用金庫に偽名で預金し、同女の死亡(昭和三九年一二月一七日病死)後被告人夫婦が昭和四〇年になつて払戻を受けたもので、同様の偽名預金八口のうち五口(弁第一号証関係)については一審及び原審判決でも被告人の主張を容れ検察官の主張を排斥しているが、他の三口(弁第二号証関係)については被告人の主張を排斥している。

しかしながら、当時阿賀信用金庫に勤務し、被告人方に預金担当者として出入りしていた久保勝則の証言(一審第六回公判調書参照)によると、一審及び原審判決が被告人の主張を容れた弁第一号証関係の五口の偽名定期預金のほかに、一審及び原審判決が被告人の主張を排斥した弁第二号証関係の三口の偽名定期預金も日野市子が預金し、その死後被告人夫婦が産相続していたものであることが認められる。

ただ一審及び原審は、弁第二号証関係について証人久保勝則の記億のみによるもので確実性に疑問があるとしているが、同証人の証言が厳存する以上、弁第一号証関係について被告人の主張を容れるならば当然弁第二号証関係についても同じように被告人の主張を容れるべきで、少くとも弁第二号証関係について検察官の主張に重大な疑問が存ずる限り、さきに総論部分で述べたとおり「疑わしきは罰せず」の刑事裁判の鉄則に基づき検察官の主張を排斥すべきで、この点持込定期預金三口八〇万円とその利息四万三、三九九円の存在を認めなかつた原判決は破棄を免れないものと思料する。

3 宝石について、

原判決は検察官の主張する昭和四二年度分の簿外資金による一三〇万円の宝石購入を認めこれを同年度の所得としているが、被告人は宝石購入の事実を否定しており、右一三〇万円は昭和四二年度分の所得額から控除すべきである。

この件についても、被告人の一審及び原審公判廷における詳しい陳述および上申書(一審第三〇回公判調書・原審第二回公判調書参照)によつて明らかなとおり、被告人は検察官の主張するオパールプラチナ台指輪・パールネツクレスなど五点の宝石を購入した事実は全くなく、妻の日野八重子も一審公判廷において購入の事実を否定し、亡くなつた母(日野市子)から貰つたものである旨そのいきさつについて詳しく証言(一審第二二回公判調書参照)しており、被告人としては国税局の木島査察官から解約した銀行預金の使途などを厳しく追及され、記憶にないため返事に困つた末、同査察官の一方的な誘導と押しつけに屈してしまい、窮余の策として見知らぬ外交員風の男から一三〇万円で購入した旨偽りの供述をしたもので、これらの事情に徴すると、昭和四二年度分の簿外資金による一三〇万円の宝石購入の事実は架空であり、したがつて一三〇万円を同年度分の所得額から控除しなかつた原判決は破棄を免れないものと思料する。

4 架空支払(昭和四〇年度分永野昇関係一〇〇万円)、自宅建築費(昭和四〇年度分一〇七万七、四九七円)について、

原判決は、被告人が一審及び原審で具体的に金額を挙げ詳細に事情を説明して所得額から控除すべきことを強調している右の各事実について、いづれも被告人の主張を排斥しているが、一審において取調ずみの各証拠によると検察官の主張には幾多の予盾と誤りが存し、いずれも国税局査察官の一方的な予断推測に基づく強引な押しつけによるものであり、きわめて疑問の多い事案で「疑わしきは罰せず」との刑事裁判の鉄則に徴し誤判というべく、破棄を免れないものと思料する。

三、以上の次第で、原審が被告人の事実に関し争つている部分について有罪と断定したことは、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認というべきであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するので、破棄を免れないものと思料する。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例